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失われた時を求めて [ブログ]

私の母の実家は、皆さんが思う日本の田舎そのものです。夜は虫の声しか聞こえませんし、空を分

断するような高いビルはありませんから、平屋の祖父母の家からは町が立てた小さな団地が見え

るものの、それ以外は穏やかな田園風景が小高い山や丘とともに見えるだけです。私は小学生

の頃半分をそこで妹とともに母の兄弟の子ども(要はいとこ)達とめだかを取ったり、せみを捕まえた

り、庭でバトミントンをしたり、花火をしたり、ソーメンやすいかを食べたり、蚊帳をつって寝ていたもの

でした。

6月の終わり、母の父、わたしにとっては祖父が亡くなりました。亡くなる直前までビールを飲み

、寝てしまいそのままでした。医者の見立てだと心臓発作で多少の苦しみがあったようですが、

86歳で亡くなる直前まで寝込んで入院もなく、散歩したり庭をいじくっていたりしていた姿も

近所の人にばっちり見られている祖父。大往生としか、いう言葉がありません。死に顔も心臓発作

に一瞬なって亡くなったのだから、全く苦しまずということもなかったはずなのですが、穏やかで微笑

すら浮かべているようで。おつや葬式は、葬祭場でやってもらうのですが、田舎のことですから、

祖父の家に「いやあ、思いもかけないことで・・・。」とひっきりなしに近所の人が訪れたりもする。60

年近く連れ添った伴侶を亡くした祖母が具合をわるくしたりもしましたが、祖父は本当にいろんな人

に自分のありったけのことをやってきた人なんだなあとしみじみ感じるものでした。

私にとって、あの夏休みも含めて成長の過程の多くのものはは祖父とともにあり、私自身祖父を失

ったというより、自分の一部を亡くしてしまったような気がして、今でもぼうとほうけてしまいます。

書きたいことはたくさんありましたが、まだまとまりそうにはありません。

生きるというのは得るものと失うものはどちらが多いのでしょう。欲張りといわれてもいいから、

自分の小さな手の中に大事なものをすべて握り締めて話さずにいる方法は、ないのかと思案してや

みません。


ひとりよがりな格差社会 [ブログ]

ありきたりな始まりですが、日本残念だったですね。

精一杯やっていても、真面目にしていても、死ぬほど血を吐くほどの努力をはいつくばるほど

していても、勝ち負けが生まれてしまうのがスポーツの世界ですが。

ちなみに、私は今週仕事でとってもきりきり舞いしていた一週間でした。なにせ、今の仕事は

とにもかくにも専門知識がいるために、一ヶ月に1度の研修(約一週間から10日で行われる)の後に

必ずテストがあり、合格点が存在し、通らなければ再テスト・・・。3回落ちたらクビという噂もある・・・

それは噂らしいですけど。研修中も給料は出るからありがたいといったらありがたいのですが。

しかも、ペーパーじゃないんですよ。話さなきゃいけないんです。膨大な答えの載っている資料は

見たりしていいんですけどね、でも本番に弱いわたしは、今まで4回研修の後試験を繰り返してます

が、4回の試験のうち3回は再テストを受けています・・・。

別に、落ちても地球には朝が訪れますが、そして私以外の人は何も感じないですが、

やっぱり心穏やかでないというか、落ちちゃうとやっぱり私って何にも出来ないなあなんて、

らしくもなく悩んでしまいます。

しかも、わたしは派遣社員なんです。仕事はそこで仕事をする一般職の方とはそう変わりがありま

せん。むしろ、一般職の方は1時間早く仕事が終了されます。

ボーナスもあり、同じテストを受け(もちろんすでにすべての研修を受け、今は試験をしている側)

てはいるけど、待遇が違うんですね。だからって、やはり正規に雇って欲しいとかはないんですけ

ど。試験に落ちると、格差社会を呪ってしまう・・・、本当に自己中心的だと思います。

劇団ひとりさんの「陰日向に咲く」の中で、大統領に生まれりゃ・・・なんてらというせりふがあります

が、自分が何かを基準に測られて、それが圏外だとしたら、ついまわりのせいにしてしまう、

それが私のようです。

そう思うと、やっぱりヒデってすごいな。「自分たちには力がない」と認めることは、

実はとっても怖いことですものね。

陰日向に咲く

陰日向に咲く

  • 作者: 劇団ひとり
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2006/01
  • メディア: 単行本


戦争のつくりかた。 [小説、本]

今週は年に3度くらいしかない私の病気週間。そう、年に3回だけ風邪や胃痛やインフルエンザに

かかってしまうという時期が存在するようですが、例年になく6月のこの時期に来てしまったようで

す。ぼろぼろになりながらようやく仕事を終えた週末です。

それでも、今週はお気に入りの本屋ヴィレッジヴァンガードで今年のベストワンになりうるいい本を見

つけたのです。

それは、一冊の絵本です。

「戦争のつくりかた」

戦争を生きて抜いた祖父母には聞けない話が、小さな子どもにも

理解できうるくらいシンプルだけどそれだからこそわかりやすく心にぐさりと来てしまいます。

「世界がもし100人の村だったら」と一緒に本棚に並べて欲しいくらいです。

私の父方の祖母は、空襲の時とにもかくにも火の中を逃げるということで、布団に水を含ませて

全力疾走で火の中を逃げ切ったそうです。その後、偶然にも家のほんの周辺だけ焼け残ったと聞い

て、さて家に帰ろうと布団を抱えなおしたところ、あまりの重さにびっくり仰天。それこそ火事場の馬

鹿力だと聞いたりはしたものです。

でも、照れのある肉親間では聞ける話はこれくらいでしょう。

その他戦争文学といわれるものにも優れた作品は、わたしが学生の頃読んだ作品を除いても

たくさんあります。が、この本は小学1年生でも下手すると明解な読めそうな文体や

一目でわかる挿絵だから

こそ

余計に心を切り刻みそうな恐怖へいざないます。ホラー映画を観た時とは全く違う、

ざらつく心を逆なでしそうな程に。

ぜひ、いろんな人に読んで欲しいし、感想も聞いたりしてみたいものです。

しょせん私の戯言などキレイごとだと言われてしまうかもしれませんが。

それでも、人を殺すことが正義だと言い切ってしまう戦争を正しいとは決して言いたくはないと

考えて仕方がないのです。


戦争のつくりかた

戦争のつくりかた

  • 作者: りぼん・ぷろじぇくと
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2004/07/27
  • メディア: 単行本


はつこひ [映画]

あなたの初恋はいつですか?

そしてどんな思い出が残っていますか??

わたしは、最近大好きな女優さんがいます。わたしは女性ですが、女性ボーカルの歌の方が、

好きだし、好きな役者さんというのは女優さんが多いことは確かですが、最近彼女に、

どっぷりはまっています。それまでは、池脇千鶴さんですから、わたしが男性だとしたら、

好きな女のタイプはなかなか変わらないといった風情ですかね。

彼女が好きなおかげで朝の連続テレビ小説とやらも一生懸命見ています。

子どもの頃に、はね駒を見て以来だから、かれこれ20年はゆうに超えています。

彼女は、かわいいし、何よりうまい。表情ひとつで、人の心をわしづかみする力を持っているように

思います。

映画「NANA」は最近レンタルビデオ屋サンに行かなくなったので、いずれWOWWOWで放映され

るまでお預けですけどね。

それで、今度「初恋」を見に行こうと思案中。

「好きだ」も見に行く予定にしていたのに、そんな時に忙しく急な用事が入ってしまうという・・・。

だから、今回は今度のレディースデイにしっかり見に行こうと思っているのです。

三億円事件は、未解決。

だから、今までもいろんなドラマや映画として作られており、いろんな仮説から、

犯人を導き出そうとする本やドキュメンタリーも数多く出回っています。

東京府中市。日本信託銀行から東京芝浦電気へ工場従業員のボーナス約3億円が、

白バイの警官に化けた男(一般論として犯人は男性であろうということになっている)が車を

乗り去り、盗んだ車を乗り継いで3億円とともに永遠に姿を消してしまいます。

今より約40年前。今ですら、宝くじで当たったらそれだけで贅沢しなかったら、

もしかして一生暮らせるのではないかというくらいの金額ですから、あの当時で考えると

相当なものでしょう。

私自身はまだ影形もない時代。私の母ですらまだまだ小学校を卒業したばかりではないでしょう

か。実際車で3億円を運んでいた銀行員のほか、府中刑務所職員、自衛隊員の目撃者もおり、

白バイを含む100点以上の遺留品があり、初め警察当局は犯人逮捕もすぐだと予想していたらしい

のです。

事件の真実は「少女の初恋」。

恋にはそれほどの力があるものでしょうか。

ちなみに私の初恋は9歳の時。

同じクラスの電気屋さんの子。

眼がくりくりしていて、かわいい男の子でした。

何も事件はなく、学校の音楽会で二人して木琴のパートをすることになり、

仲良くおしゃべりできるようになったことが

私の小さな宇宙の奇跡のひとつだったような思い出があります。


晩年のアダムとイブ [ブログ]

今週末から、日本を始め、ワールドカップ開催国のサッカーファンは盛り上がりも徐々に最高潮へ

という感じの週末。つれあいもずっぽりはまって、それに影響されて、そこそこ楽しめるように有名選

手を覚えつつあります。そんなにわかファンも世の中にあふれているでしょう。ぜひ、日本選手の大

活躍を期待!!

それにしても、ただボールをゴールに入れるスポーツであるサッカーは体力勝負のスポーツではあ

るけど、チェスや将棋のように頭を使うスポーツであるらしいです。とても、知的なスポーツといえま

す。

この地球上で万類の霊長と言われる「ヒト」ですが、実はヒトの身体、特に2足歩行としてのバランス

にはまだ改善の余地があり、そのせいで身体がゆがんだり、肩こりなどの症状が引き起こされるら

しいのです。クロコダイルなんて、随分昔から進化していないし、要はクロコダイルを弱肉強食の生

態系のトップに配置すると、すべてはクロコダイルの腹におさまってしまうわけですね。

ヒトはそれに比べたら、身体的にはウイークポイントはたくさんあります。

サルの仲間ではあるけど、サルからヒトへ変わる時に、尻尾を忘れてきてしまい、運動能力的にも

サルのほうが身軽であり、生命力も強い部分があるように感じます。

ただ、クロコダイルにとって唯一の天敵がヒトとなるようです。

ヒトはその身体的な問題をカバーするほかの動物に比べたら、

考えられないくらいの知能を持ち、何かを作り出す動物は数知れずいますが、自分たちで

いわゆる唯一の天敵である病気を克服し延命できる技術を作り出し、

身体的な能力を遥かに動作を持つ乗り物や機械を作り出し、その代わり

自分たちを生み出した自然と敵対するくらいの何かを作れるようになってしまったという・・・。

本当に賢いのかどうかはわからないですけど。

地球上にはとりあえず、ヒトほどの脳を持つ動物はいないということで。

でも、それは幸福なことでしょうか。

人はよく、人生について考えたりする人が多いです。

わたしも、まだまだそんな実感はないですが、あっという間に過ぎてしまうのが人生らしいです。

生まれて大人になって老いていってそして消えてしまう。

どんなに知能があろうとも自然の摂理にはかなわない。

でも、こんな私自身でさえ、昔、受験勉強をしていた時、

通勤の満員電車に乗っているとき、失恋した時、すばらしい人に会った時、

わたしはどう生きたらいいのだろう、人は何のために生まれ生きるのだろうという、

アリストテレスからこっちだれも解決できない永遠のテーマをふと頭によぎらせてしまうのです。

ただ、こんなにぼんやりとしていていいのだろうか、主義主張を持って生きたほうがいいのではない

だろうか、何か意味のあることをしたほうが・・・など自分の人生に生き抜く作業以外の何かを求めて

しまう。

幸福かと考えると何が幸福か・・・としまいには、なぜ歩く時わたしは右足からみたいな、

考えることを考えるところまでいくしかないところまでいってしまいます。

キリスト教の聖書には、イブはへびにだまされ、神が食べてはいけないという、禁断の果実を

アダムとともに食べてしまいます。大まかに言うと「神のように、なんでもわかるようになる」

言葉の魅力に取り付かれて・・・。

他の生物と同じように、なにも考えず本能のまま生きることが出来る方が幸福なのでしょうか。

生まれて生き抜いて次の世代を生んでそして死んでいく。

すべては生きるための作業に費やされることになにも、疑問も感じない。

でも、今更「リンゴは食べていませんので」、というわけにはいかないですものね。

そのおかげで今ワールドカップを楽しむことができるし。

アダムとイブは、その後どう思ったのでしょう。


岩盤浴と初夏 [健康]

今日は、大変いい日和の日でした。こちら、関西では嵐の前の静けさ・・・というか、

本当の話は梅雨の前の晴れている6月最後の週末となるのではないでしょうか。

今日は先月半ばまで持病で入院していたが、最近仕事にも復帰し、身体の調子は本調子ではない

けど、それなりに元気になった友人と今流行のデトックス・・・岩盤浴へ行ったのです。

随分汗を流し、温泉に行った後のような、けだるい感じが夕方になっても残っています。

それにしても、今日は昔の夏休みの夕方を思わせる夕暮れでした。私が、小学生の頃までは、

本当の7、8月の夕方も涼しさを取り戻していましたから、ちょうどそんな感じでした。今は本当に暑

い暑い夏なので、夕方も蒸してますけどね。

岩盤浴後、銭湯(あんまり行ったことないですが)に行った後のような感じになった私と友人は、その

岩盤浴屋さん(リラクゼーションの店)の商店街のところを初夏のさわやかな風に吹かれながら、とり

とめのない、女性にはよくある結論のない話をしながら、ぶらぶらしていました。今日一緒に行った

友人は最近病気をしたり、家でもいろいろあったり、とりとめのないとは言っても、普通の喫茶店や

建物の人口の灯りの下では、聞いているこっちも滅入ってしまって、きっと話している本人が

話すの辛そうになる話でしたが、私たちは、6月の土曜日、初夏の夕暮れという最高の

環境に支えられたせいか、全く暗くならず、人生とはうまく行く時と、行かない時があるもんだね

と、笑いを交えながら話せるほどでした。

それにしても、環境って、その人となりを整えるのに、かなりの影響力があるものだとわたしは最近

思います。ちょっと前まで、TVで県民性のアレコレをよく特集してましたが、それとは私の考えは違

って、その人がたまたま過ごす生まれ故郷だとか、家庭環境とか受身の話じゃなく、

その人が自分の好みや主観が入って形作られる環境とてもいうのでしょうか。

例えば、自我がしっかりした後のその人の部屋とか、習い事とか、よく行く店とか、

そういうのです。この前間宮兄弟という映画を見に行ったのですが、その兄弟の部屋は

とても、趣味がたくさんある、人生を楽しんでいる部屋なんですが、女にはもてそうにない人の部屋

というか・・・。

自分の上限を決めているのは、まわりの人や出来事じゃなく自分自身になり始めたのは、

いったいいくつの時でしょうか・・・。それは、自分の環境を自分で整いはじめた頃から、

生まれたものではないかと最近思うのです。わたしは、これが好きだからとか、これ以外は!とか、

変なこだわりが、いずれ自分の視野をせばめてしまうのではないかと・・・考えすぎですかねえ。

でも、そこから抜け出せなくなる前に、いろんなことが本当は自分にはあると思える方が、やっぱり

楽しいだろうし、本当はもっと好きで夢中になれるものが、この年になってもまだまだあるかもしれな

いと思った方が、やっぱり人生得してるのではないかと思ったりもします。

たまには、いつもの自分を変えて行動するのも悪くないかなあと、そう考えさせてくれるのが

初夏の心地よさですかね。吹かれているだけで、幸福な気分になりますよね。


モザイク 見えそうで見えない [今日は何の日]

モザイクという言葉は、最初もともとの言葉の意味は、きっと小片を埋め込んでつくる絵(図像)や

模様をあらわす装飾美術のことを言いますが、日本ではもうひとつの意味のほうが

多用されていると思われます。私が住んでいる大阪の隣町兵庫県神戸市にも、モザイクという

海のそばのとっても景色のよい商業施設があるのですが、そっちのほうではありません。

主に、テレビや写真などに使われる「ぼかし」の呼び名として、使われることの方が多いでしょう。

ただ、隠しておきたいこと、隠さなくては表に出せないものを、うまい具合に工夫できるもののひとつ

とでも、言うのではないでしょうか。

わたしは、大学時代、スペイン旅行に行ったことがあります。主にアンダルシア地方を回ったのです

が、スペインはヨーロッパでもめずらしいイスラム美術の影響を受けたところであるらしく、

それはそれはステキなところでした。

このモザイク美術といえば、アルハンブラ宮殿がすばらしく、その手法の影響下を受けた、

ガウディのグエル公園などもタイル模様がなんとも形容しがたい感覚を思い起こさせたものです。

ただ、モザイク美術はイスラムだけというわけでもなく、妹と行ったことのあるヴェネツィアでの

サンマルコ寺院にもあったそうですが、そちらは忘れてしまいました。

タイルを埋め込んで、近くで見るとただのタイルの貼り付けに見えるけど、一定の距離から見ると

それで景色や人物や法則のある一定の文様が浮き出てくる様子が

わたしはとっても好きですね。

このモザイクも近くからは何がなんだかわからない(これは一定の距離を空けると見えるけど)、

というところは、ぼかしの部分のモザイクと共通する部分がありそうです。

見えそうで見えないというのは、人の単純な探究心を呼び起こすようです。

エロティックさというか、ミステリアスというか、ぞくぞくする心の動きを私に思い出させます。

今日、5月28日は、1936年の5月に阿部定事件を起した、阿部定さんの誕生日だそうです。

彼女が生まれたのは、まだ日本が明治といわれていた頃、1905年だそうです。

いろんな映画になったり、小説やドキュメンタリーとして描かれたりしていますが、

誰も彼女の本当の気持ちは測り知ることはできても、

わかってあげることはできないでしょう。

彼女は、事件の後の服役後、特赦で出所した後、名前や経歴を変えて暮らすことを

了承され、普通の結婚をして、普通に暮らしていた頃もあったようです。

その後、マスコミにすべてを明かされ、結婚はだめになり、女中などをして市井の中で暮らしたよう

です。年を経ても男好きだったというエピソードを残して、行方不明のまま現在に至っています。

誰も知らない、阿部定さんに限らず、自分の本当の姿は誰にも本当に知られないまま、

見えそうで見えないままモザイク模様の様に、

単なる宇宙のエピソードのひとつになってしまうのかと思うと、時折ふと感じる

もの悲しさを感じることもあります。

それにしても、久しぶりにスペインに行ったことを思い出したりしましたが、

最近空をみては、旅情に誘われ、ポストを見ても誘われています。



知ったかぶり。 [ブログ]

最近、週末はいつも雨ばかりの大阪です。

明日は出かける予定にしているのですが、そういう時はいつも雨。はじまりはいつも雨♪

とは関係ないですが、梅雨に入る前なのに雨ばかりです。全国的に今月は晴れの日が少なく、

野菜の危機が訪れそうなんですよね・・・。石油も高いし。財布の中にある「閑古鳥」と仲良くなって

久しい時間が流れていますが、このままだと一気に入籍にまで話がすすみそうです。夏前には

結納といった具合です・・・。

わたしは、最近ある「法則」を感じています。それは、自分の人生だとか、過ぎ去った時間を

そんなに年もいってないのに、自分の価値観や考え方や経験を語ったりするのは、どうも30女の特

徴のようです。

わたしも、そういうことが実は自分も大好きなんだと、ついつい近頃気づいたばかりです。

でも、さすがに自分よりずいぶん目上の方とかの前では、話したりしないですけど、

年下とか同年代の女性(時折男性)なんかの前だとはじけちゃうようです。

だから、そんなに何も知んないくせに、「人ってさー・・・」、「わたしってさー・・・」

という話はつきないです。たまに、このブログにもいい具合に入り乱れてますけど。

わかってはいても、自分の性格や持って生まれたものを変えることは難しいようです。

でも、近親憎悪とでもいうのでしょうか・・・。昨年だか、おととしだか、「負け犬の遠吠え」

という本がはやりました。

わたしは、あれが大嫌い、なんです。負け犬呼ばわりされるのがいやだとか、

男に嫁いだだけの仕事も出来ないバカ女というカテゴリーに組み入れられたというのが、

気に食わないというわけではなく、単純になんか「人生悟った!!」と感じられる文章が、

妙に鼻につくといった風情のようです。

曽野綾子さんや、黒木ひとみさんや、阿川佐和子さんのエッセイを読んでも、うむうむ

こう年齢を重ねられたらと思えるのだから、やっぱり近親憎悪以外の何者でもないと思います。

それが、頭で理解できても、ちっとも好きになれないのは、やはり私はねちっこいという習性を

必ず誰しも持っている、女だからでしょうか。

ただ、そのことを完璧に理解するには、まだまだ相当な時間を要することだけは間違いがないようで

す。

負け犬の遠吠え

負け犬の遠吠え

  • 作者: 酒井 順子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2003/10
  • メディア: 単行本


困った性癖 シーズソーラブリー [映画]

わたしは、こう見えても、恋愛映画が大好きなのです。

実は、そういうことを気取ってなかなか言いたがらないタイプなんですけど。要は、ええかっこしいと

いいますか、男子でいうところのむっつりスケベとでもいうのでしょうか。

えてして、そういう奴ほど、心の中はエロエロ大魔王ということになりますが、女子のええかっこしい

は、恋愛興味なさ気はポーズで、そういう風に見えないけど、シンデレラに本気であこがれてい

るアホアホの女王ということです。だから、よっぽど仲良くならないと、気づかないらしいです。

例えば、同じ職場で同じ課とか、学生で言えばクラスメートだと、○○チャン(わたしのことですね)

は映画大好きでよく見ているらしい・・・とご存知。その中で、まあ仲良しの部類だと、○○チャン

は、かなりの数の映画を見ていて、メジャーからミニシアター系までいろいろ教えてくれる(でも、語

りすぎで端から見ると少しひくよね)・・・というくらいご存知。で、ものすごく付き合い長い方は、○○

チャン、そういうの興味ないと公言し、恋とか愛とかまるで話せない外国語くらい知らんぷりしている

けど、恋愛映画にうるさいよね・・・となってしまいます。

言い訳じゃないのよですが、自分では無理なんです。女性はえてして老いも若きも、3度のメシより

恋が好き!!というキトクな方は数多くいますが、わたし自分の身に置き換えては難しいのです。ヨ

ン様やジャニーズの追っかけはとてもとてもできません。

それは、人並みには人を好きになったり、傷ついたりできますが、恋焦がれてなんとやらは、

無理ですね。もしかしたら、女子としてというより、人としておかしいのかもしれないですけど。

最近、その恋愛映画ではまったのがエターナルサンシャインという映画なんですけど、

それは、つい3週間ほど前、このブログで長々としつこく書きました。

恋愛映画数ある好きなものの中でも、一押しはショーン・ペンが自分のリアル妻を相手役に演じる

シーズソーラブリー。

最近日本でもっぱら人気の純愛映画。韓流もそうですかね、たしか。

これは、ショーンペン演じるエディとその妻演じるモーリーンのカップルの話なんですけど。

純愛映画といったら、これはぶっちぎりだと思います。きれいごとが何ひとつないし、モラルもない、

そして何よりも二人とも年齢も、ええ大人の癖に、刹那的な恋を常に選んでしまうんです。

だから、観る人の心を揺さぶるんだと思います。ただ、きっと誰ひとり、こんな恋はしたくないと思うと

思います。でも、わたしは、だからこそ、あこがれてしまうようです。

シーズ・ソー・ラブリー

シーズ・ソー・ラブリー

  • 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
  • 発売日: 1999/06/04
  • メディア: DVD


エジソンの活動写真 [今日は何の日]

日曜日、ダヴィンチコードのあまりの映画館の前の込み合いに負け・・・、

ひととおりブームが過ぎてから見ようと決心。そのかわり、間宮兄弟を近々見ようかと思っていま

す。面白いという人と、そうじゃない人といますが、だからこそ映画はおもしろいと思います。

さる高名な映画評論家である淀川長治さんが、「どんな映画にもいいところは必ずある」と

言ってらっしゃいましたが、それこそが映画の真理のような気がします。手間ひまかけて創られ、

けっこうな値段を払って、映画館に見に行くという行為。映画館の照明が落ちる瞬間は、

どんな映画であろうとも、何度経験しようとも、心がぞくぞくするようなわくわく感を得ることができま

す。

ちなみに、今日5月22日はかの有名な発明家であり、事業家でもあるエジソンが、1891年に

初めて活動写真を公開した日だそうです。エジソンの1%のきらめき・・・うんぬんはあまりにも

有名ですばらしい言葉ですが、この映画の発明もまた、その他の便利なものとは少し違う、

ステキで夢がある発明でした。この活動写真があるからこそ、映画という娯楽が生まれ、産業がで

き、それが芸術まで発展したのでしょう。

冒頭でも触れたダヴィンチコード。世界中で、単なる映画評論とは違う、論議が巻き起こってます

が、わたしは、映画はやはり娯楽というものであり、思想や宗教を表わすものではないと思います。

この映画も、何かの思想に基づいて作られたものではないような気がしますが、それを見て心痛め

る人が実在するのだから、これはしょうがありません。でも、悪意で何か(キリストというべきか)を中

傷したつもりで作られていないだろうから、それが伝わらないのは、少し残念でなりません。

でも、少なからずとも、その映画を作る人々の思い(例えば美への賛辞であり、富への憧れであり、

平和の希求であり、恋のせつなさであり、生きる喜びであったりする)が入っているからこそ、映画

がおもしろいとも言えます。

なんにしても、このエジソンはすごい人ですね。でも、彼のおかげでわたしにも生きる喜びの源とな

る趣味が持てたということで、感謝してもしきれません。


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