失われた時を求めて [ブログ]
私の母の実家は、皆さんが思う日本の田舎そのものです。夜は虫の声しか聞こえませんし、空を分
断するような高いビルはありませんから、平屋の祖父母の家からは町が立てた小さな団地が見え
るものの、それ以外は穏やかな田園風景が小高い山や丘とともに見えるだけです。私は小学生
の頃半分をそこで妹とともに母の兄弟の子ども(要はいとこ)達とめだかを取ったり、せみを捕まえた
り、庭でバトミントンをしたり、花火をしたり、ソーメンやすいかを食べたり、蚊帳をつって寝ていたもの
でした。
6月の終わり、母の父、わたしにとっては祖父が亡くなりました。亡くなる直前までビールを飲み
、寝てしまいそのままでした。医者の見立てだと心臓発作で多少の苦しみがあったようですが、
86歳で亡くなる直前まで寝込んで入院もなく、散歩したり庭をいじくっていたりしていた姿も
近所の人にばっちり見られている祖父。大往生としか、いう言葉がありません。死に顔も心臓発作
に一瞬なって亡くなったのだから、全く苦しまずということもなかったはずなのですが、穏やかで微笑
すら浮かべているようで。おつや葬式は、葬祭場でやってもらうのですが、田舎のことですから、
祖父の家に「いやあ、思いもかけないことで・・・。」とひっきりなしに近所の人が訪れたりもする。60
年近く連れ添った伴侶を亡くした祖母が具合をわるくしたりもしましたが、祖父は本当にいろんな人
に自分のありったけのことをやってきた人なんだなあとしみじみ感じるものでした。
私にとって、あの夏休みも含めて成長の過程の多くのものはは祖父とともにあり、私自身祖父を失
ったというより、自分の一部を亡くしてしまったような気がして、今でもぼうとほうけてしまいます。
書きたいことはたくさんありましたが、まだまとまりそうにはありません。
生きるというのは得るものと失うものはどちらが多いのでしょう。欲張りといわれてもいいから、
自分の小さな手の中に大事なものをすべて握り締めて話さずにいる方法は、ないのかと思案してや
みません。
思い出が人には必要です。 いつか、自分が親になった時に
その思い出が役に立つでしょう。
by たいへー (2006-07-09 12:19)
大切なお爺ちゃん、心では生きて応援してくれていますよ。
生きていれば失う物なんて無いです。得る事ばかりですよ。そう考えないとね。
by お散歩爺 (2006-07-09 14:02)
自分がある程度の年齢になると、周囲に当たり前のようにいた人達が
いなくなる事を嫌でも経験するようになります。自分にとって大事な人なら、
いなくなってしまった事自体が心にも重く圧し掛かりますが、僕の場合、
いなくなってしまった本人にとって、その最後はどうだったかと考えます。
中にはこんな形で終わりたくはなかっただろうと思い、やりきれなくなる事も
あります。しかし、大往生と言える形で最後を迎えられたなら、僕の場合なら、
自分自身の悲しみは別として、本人にとっては悪くない最後だっただろうと
思えて、少しだけ気持ちが楽になるのではないかと思います。
避けられない事なら、せめて自分の大事な人達はみんな最後まで少しでも
幸せに過ごして欲しいと思います。
by zuga (2006-07-09 15:24)
わたしも暑い夏が来ると、亡くなった祖母のことを思い出します。
多感な時期でもあり、悲しみとかいろんな感情と正面から向き合い、またそのような時間がありました。今は穏やかな気持ちで祖母のことを振り返ることができます。一方、社会人になってすぐに亡くした父のことは、そういう通過儀礼がないままここまできてしまい、いまだに自分の中で整理できていません。人の死は残されたものにとってその人の突然の不在を意味するので、現実の中で受け止めるのは容易ではありませんね。
by 鯉三 (2006-07-09 16:00)
私の父方の祖母は、偶然にも、数年振りに会った2日後に、似たような形で亡くなりました。あんなに元気に話をしていたのに・・・と不思議でなりませんでした。
人は、いつ何が起こっても不思議ではないのですよね。
だからこそ、限られた少ない時間で、大切な人を想いやって生きていこうとするのでしょうね。
by デージー (2006-07-16 00:43)
たいへーさん。いつも本当にありがとうございます。夜中に書いた物でとてもナーバスですが、思いは消えないことが心のよりどころです。
旅爺さん。失うものなど何もないのが人生。とてもいい言葉です。得るものだらけだと思えば過ごしやすいですね。ありがとうございます。
ZUGAさん。ありがとうございます。避けられないものならば。出来るだけ幸せでいて欲しいっていいですね。大往生というのはほんとにいいことです。わたしもつくづく思います。
鯉三さん。いつもありがとうございます。突然の不在に私もいまだに戸惑っていますが、何があっても毎日を迎えることが生きていくことに他ならないといろんな形で知らされているような気がしてなりません。
デージーさん。いつもありがとうございます。身内のことを語るのは気が引けましたが、生きていくうえでみんな背負っているものなんだとつくづく感じます。
by takepii (2006-07-19 15:27)