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岩盤浴と初夏 [健康]

今日は、大変いい日和の日でした。こちら、関西では嵐の前の静けさ・・・というか、

本当の話は梅雨の前の晴れている6月最後の週末となるのではないでしょうか。

今日は先月半ばまで持病で入院していたが、最近仕事にも復帰し、身体の調子は本調子ではない

けど、それなりに元気になった友人と今流行のデトックス・・・岩盤浴へ行ったのです。

随分汗を流し、温泉に行った後のような、けだるい感じが夕方になっても残っています。

それにしても、今日は昔の夏休みの夕方を思わせる夕暮れでした。私が、小学生の頃までは、

本当の7、8月の夕方も涼しさを取り戻していましたから、ちょうどそんな感じでした。今は本当に暑

い暑い夏なので、夕方も蒸してますけどね。

岩盤浴後、銭湯(あんまり行ったことないですが)に行った後のような感じになった私と友人は、その

岩盤浴屋さん(リラクゼーションの店)の商店街のところを初夏のさわやかな風に吹かれながら、とり

とめのない、女性にはよくある結論のない話をしながら、ぶらぶらしていました。今日一緒に行った

友人は最近病気をしたり、家でもいろいろあったり、とりとめのないとは言っても、普通の喫茶店や

建物の人口の灯りの下では、聞いているこっちも滅入ってしまって、きっと話している本人が

話すの辛そうになる話でしたが、私たちは、6月の土曜日、初夏の夕暮れという最高の

環境に支えられたせいか、全く暗くならず、人生とはうまく行く時と、行かない時があるもんだね

と、笑いを交えながら話せるほどでした。

それにしても、環境って、その人となりを整えるのに、かなりの影響力があるものだとわたしは最近

思います。ちょっと前まで、TVで県民性のアレコレをよく特集してましたが、それとは私の考えは違

って、その人がたまたま過ごす生まれ故郷だとか、家庭環境とか受身の話じゃなく、

その人が自分の好みや主観が入って形作られる環境とてもいうのでしょうか。

例えば、自我がしっかりした後のその人の部屋とか、習い事とか、よく行く店とか、

そういうのです。この前間宮兄弟という映画を見に行ったのですが、その兄弟の部屋は

とても、趣味がたくさんある、人生を楽しんでいる部屋なんですが、女にはもてそうにない人の部屋

というか・・・。

自分の上限を決めているのは、まわりの人や出来事じゃなく自分自身になり始めたのは、

いったいいくつの時でしょうか・・・。それは、自分の環境を自分で整いはじめた頃から、

生まれたものではないかと最近思うのです。わたしは、これが好きだからとか、これ以外は!とか、

変なこだわりが、いずれ自分の視野をせばめてしまうのではないかと・・・考えすぎですかねえ。

でも、そこから抜け出せなくなる前に、いろんなことが本当は自分にはあると思える方が、やっぱり

楽しいだろうし、本当はもっと好きで夢中になれるものが、この年になってもまだまだあるかもしれな

いと思った方が、やっぱり人生得してるのではないかと思ったりもします。

たまには、いつもの自分を変えて行動するのも悪くないかなあと、そう考えさせてくれるのが

初夏の心地よさですかね。吹かれているだけで、幸福な気分になりますよね。


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たいへー

自分の好きな事は、どんな事をしたってやるもんですよ。
小さい頃の家庭環境が一番影響するんじゃないかな?
大なり小なり、いい事ありは悪い事あり・・・
トータルで考えて、いい方向へ向かってけばいいのかも。
by たいへー (2006-06-04 07:46) 

鯉三

>自分の好みや主観が入って形作られる環境

生まれた境遇、家庭環境というのはとかく重要視されるし、問題を抱えている本人も、いわばそこに責任転嫁することで一応納得したり...そういうこと、わたしもよくあります。でも、本当にそれでいいのか。それで納得するだけでいいのか。やはり自分を作っているものは当の自分でしかない。他人と向き合う時、もっとそういう自覚を持った方がいいのではないか、と自問しています。決して自分を否定しているわけではないのですが。うわー、いっぱい書いてしまった!とにかく、takepiiさんの今回の記事にはいろいろ感じるところが多かったのです。
by 鯉三 (2006-06-05 00:41) 

takepii

たいへーさん。いつもありがとうございます。好きなことは好き。何がなくとも・・・ですものね。トータルでいい方向へ向かうことが何よりも難しいですよね。

鯉三さん。いつもありがとうございます。自覚がないからコワイ。でも、意識するのは難しい・・・。どうしたらいいものでしょうね。ほんと。敵は本能寺ではなくて、やはり自分の中にあると思います。
by takepii (2006-06-07 23:26) 

500円

その昔、
「棒ほど願って針ほど叶う」と
恩師が語っていて、
それを聞いたときは大学生で
棒ほどの願いもなかったので聞き流していましたが、
最近になってよく思い出したりします。
自分のことではなく、子どものことの時に。
なぜか。子どもが棒を沢山持っていて、無防備にさらけ出しているから。
子育ても3人目にいたってようやく
共に、いたく真剣に、
棒ほど願えるようになりましたが、
棒を信じられるか信じられないかで
人生の豊かさはえらく違ってくると
気がついたのは、ちょっと遅かったけど、よかったことです。
なんか分かりにくいこと書いてすみません。
by 500円 (2006-06-09 00:13) 

takepii

500円さん。棒ほど願うってすごくパワーがいることのようです。わたしにも、棒ほど願って針ほどかなえたいことはあるかどうか、まだまだ思案の余地がある気がします。
by takepii (2006-06-10 21:38) 

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