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知ったかぶり。 [ブログ]

最近、週末はいつも雨ばかりの大阪です。

明日は出かける予定にしているのですが、そういう時はいつも雨。はじまりはいつも雨♪

とは関係ないですが、梅雨に入る前なのに雨ばかりです。全国的に今月は晴れの日が少なく、

野菜の危機が訪れそうなんですよね・・・。石油も高いし。財布の中にある「閑古鳥」と仲良くなって

久しい時間が流れていますが、このままだと一気に入籍にまで話がすすみそうです。夏前には

結納といった具合です・・・。

わたしは、最近ある「法則」を感じています。それは、自分の人生だとか、過ぎ去った時間を

そんなに年もいってないのに、自分の価値観や考え方や経験を語ったりするのは、どうも30女の特

徴のようです。

わたしも、そういうことが実は自分も大好きなんだと、ついつい近頃気づいたばかりです。

でも、さすがに自分よりずいぶん目上の方とかの前では、話したりしないですけど、

年下とか同年代の女性(時折男性)なんかの前だとはじけちゃうようです。

だから、そんなに何も知んないくせに、「人ってさー・・・」、「わたしってさー・・・」

という話はつきないです。たまに、このブログにもいい具合に入り乱れてますけど。

わかってはいても、自分の性格や持って生まれたものを変えることは難しいようです。

でも、近親憎悪とでもいうのでしょうか・・・。昨年だか、おととしだか、「負け犬の遠吠え」

という本がはやりました。

わたしは、あれが大嫌い、なんです。負け犬呼ばわりされるのがいやだとか、

男に嫁いだだけの仕事も出来ないバカ女というカテゴリーに組み入れられたというのが、

気に食わないというわけではなく、単純になんか「人生悟った!!」と感じられる文章が、

妙に鼻につくといった風情のようです。

曽野綾子さんや、黒木ひとみさんや、阿川佐和子さんのエッセイを読んでも、うむうむ

こう年齢を重ねられたらと思えるのだから、やっぱり近親憎悪以外の何者でもないと思います。

それが、頭で理解できても、ちっとも好きになれないのは、やはり私はねちっこいという習性を

必ず誰しも持っている、女だからでしょうか。

ただ、そのことを完璧に理解するには、まだまだ相当な時間を要することだけは間違いがないようで

す。

負け犬の遠吠え

負け犬の遠吠え

  • 作者: 酒井 順子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2003/10
  • メディア: 単行本


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かくれんぼ [ブログ]

いよいよ、ワールドカップをあと20日くらいにせまり、日本中がワールドカップに浮かれています。

なんにしよ、スポーツを心ゆくまで楽しめるというのはなんともステキなことです。

私のこのブログも、おかげさまで47記事め。記事というか、私の雑貨感を心ゆくまで書いています。

たくさんの人に覗いていただき、ナイスをいただいたりして、本当に楽しく書いています。

ただ、わたしは、やはりええかっこしいというか、恥ずかしがりやというか、たいした意味も思惑もな

いのですが、このブログの中では、毎日自分の身に起こったよしなしごとをなるべく書かないように

しています。秘密主義とかそういう気持ちはないし、プライベートな話をまったくしないということはな

く、自分の年齢とか、住んでいるところとか、性別とか、趣味とか、出身地とか、わりとべらべら

しゃべっています。でも、毎日のあれこれを書くのが苦手。

きっと、これって、わたしが小学校の時、ある担任の先生に「作文はした事は書いてはダメだ!思っ

たことを書きなさい!!」といわれたことに由来する気がしています。

これと同じことを「兎の眼」という小説の中の先生も子どもたちに話しているシーンがありますが。

それで、うまいこと今日はあーして、そーして、こーなった・・・と書けないようです。

三つ子の魂とまで、小さくもないですが、これを書くようになるまで、ろくに文章はかいてきませんで

した。国語のテストで文章は書いていましたけど、自分が思うがままに書くことはなかった気がしま

す。だから、書こうと思っても、30歳で今更うまいことはいかないようです。

ただ、人の文章はおもしろいもので、自分がいちばん知られたくないこと、もしくはあえて表していな

いものがところどころというか、いちばんわかり易くあぶり出しのように出てくるようです。

例えば、わたしのブログは、6割が映画の話題、3割が「今日は何の日」、残りの1割でその他とい

う感じ。要は、あんまりお出かけもせず、テレビと映画を見るのが特に好き・・・というのが、丸わか

り。車の話や、アイドルの話や、競馬パチンコは全くでないので、興味がないということですね。

人は、自分が思っているよりもわかりやすく出来ているのかもしれません。

ただし、あえて書いていないことがあります。それは、タイトルにもしている集金生活について。

金とセックスの話はしない主義・・・ということで。

でも、隠そうとしているからこそ、それがいちばんわかり易くでているのかしら?

それは、自分にはわかりません。

ところで、ダヴィンチコード、世界中で話題ですね。

波紋だらけの映画ですが、それだけあとに残る映画になるのかしら??

それは、まだまだわかりません。


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幸福な子ども [ブログ]

明日は母の日です。

ギリシアが起源、アメリカバージニア州が起源とかいろいろ言われてますが、日本は大正時代教会

で祝われ始め、皇后の誕生日3月6日であったこともあるらしいのですが、一般的にはあるお菓子メ

ーカーが告知をはじめ一般的になったそうです。日本人て、ある意味すべてを市場拡大に利用でき

るという特技を持ってますよね、よきにしろわるきにしろ。

親の心子知らずとは、言いますが、大人になってからは子ども時代の自分の親不孝さを嘆くほどで

すね。子どもというのは、生まれた時点で両親に感謝しても仕切れないくらいでしょう。

両親と離れて暮らし、はや10年以上。しかし、感謝できる人を持つというのは、

人生において、すごくステキなことだと思っています。

プライベートについて、少々書きますが、わたしは、両親とも健在です。自身の子どもは欲しいので

すがまだいません。

ちなみに、ここ何年か、私の人生で最も近くにいる人であるつれあいもその両親は健在です。

人生30年、これといって大病をわずらわず(生まれて間もない間は少々危機あり)、ごはんに困った

こともなく、ほとんど無名のところですが大学も卒業し、現在仕事もしています。我が家(賃貸住宅)

には自家用車(ただし軽)、パソコンもあり、テレビ、MDコンポ、プレステ2・・・その他数え上げると

きりがない、電化製品や、家具や日用品や衣服等にかこまれています。自分としては、貧乏ひまな

しで、働くことしかりですが、明日の住むところ、明日のごはんに困りそうだ!!というところまでは

程遠いところにいます。友人も少ないながらもいます。そして、人生において、最大の悲しみだった

ことは、20代前半に同じ年のいとこを事故で亡くしてしまったことなど、身近な人の死です。ただ、悲

しみといっても、時が経てば、徐々に気持ちを落ち着かせ、その分自分が生きていこうと思っている

し、もう明日から生きていけないと思うような出来事にはまだ出くわしていませんし、ごはんがのどを

通らないほどの悩みにさいなまれたことはありませんし、心がしんと冷えるような孤独感も味わった

ことはありません。戦争や争いも知らず、大事故に巻き込まれたこともなく、ありがたいことに祖父母

4人のうち3人は元気(病気は患っていることもありますが)にしています。

嘘をついたり、人を傷つける発言をしたりすることもありますが、人を殺めることもなく、時には親切

や優しさを発揮できる場合もあります。

こう書いていくと、なんと自分は、幸福な人間であることか・・・と感動すらおぼえますねえ。

「世界がもし100人の村だったら」はわたしが、心が弱っている時、そしてなんともいえない幸せ

に浸っている時やふとした瞬間に開いて読んでしまう「詩」ともいえる物ですが、

これによると、わたしは100人の村でたったひとりの大学の教育をうけコンピューターを所有している

人なのです。そして、それによると世界でもっとも裕福な上位8パーセントの中に入ってしまいます。

しかも、両親が健在で、そしてまだ二人が一緒にいるのなら、それはとても稀なこととあります。

自分が恵まれているとか、そういうことを言っているのではないんです。

ただ、ぼーっと生きていてはいけないなと思うのです。

こうして考えると、奇跡の惑星の、奇跡の人間みたいですけど、私自身は、人とか何かに感謝をで

きると気づけたことが幸福だと思います。目の前の小さな小さな悩みやこの世でもっとも傲慢で

欲深い霊長類ヒト科ですから、そういうことに感謝していたいと思いつつも、ちょっとの損得や

お金や虚栄心に負けてしまうことが多々あります。

でも、そういうことより、自分は生きているだけでまるもうけという気持ちが勝っていくように

心がけたいと思っています。

ま、とにかく母の日ってステキですよね。

お母さんにありがとうなんて、ちょっと気はずかしくて、なかなか言いたくても、言い出せません。

でも母の日なら公明正大に「ありがとう」と言えますから。

世界がもし100人の村だったら

世界がもし100人の村だったら

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2001/12
  • メディア: 単行本


世界がもし100人の村だったら 2 100人の村の現状報告

世界がもし100人の村だったら 2 100人の村の現状報告

  • 作者: 池田 香代子
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2002/06/13
  • メディア: 単行本


世界がもし100人の村だったら  3  たべもの編

世界がもし100人の村だったら 3 たべもの編

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2004/12/01
  • メディア: 単行本


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スナフキンの恋人 [ブログ]

大阪は天気がいい日が続いています。

実は、花のゴールデンウイーク中ですが、この2日ほど自分の家から半径100m以上のところへ

行っていない気が・・・、というか実際出てません。2日の甲子園が寒くて少々風邪気味というのも

あるけど、明日は出かける予定ですが、この2日は完全に思考回路もオフしています。

たまった洗濯物を洗ったり、つれあいのシャツにアイロンしたり、トイレを掃除したり・・・、

日常のあれこれを片付けてはいるけど小難しいあれこれ、考えたり悩んだりしなきゃいけないこ

とを、まるっきりオフにしています。つれあいが友人と遊びに行ったりしていないのもあるし、

風邪であたまがぼーっとしているのも、それを冗長させているのでしょうか・・・

そのかわり、ビデオをとったり、DVDを買ったりしてたまっていた映画をたくさん見たり、

好きなMAROON5を何回も飽きるほど聞いたりしています。

だから、ある意味、至福の時ですね。

実は、わたしは、おととしの夏から昨年の春まで、半年ほどNZで暮らしていました。

長期の旅行みたいなもので、最初の4ヶ月はわりと大きな街で、

英会話用の学校に通ったり、簡単なほとんどお金にならないエクスチェンジという

要は住んでいるバックパッカーの掃除をする代わりに、宿泊費を安くしてもらうというものをしたり、

バーベキューで食べ物を持ち寄ってに参加したり、買い物をしたり、字幕のない映画を見に行った

り、辞書をひきひき本を読んだり、お祭りに行ったり、海岸へドライブしたり・・・

その後は1ヶ月半ほどかけて、NZの南島を車であちこち寄って旅行しました。

氷河を歩いたり、野生のオットセイといるかを見に行ったり、ペンギンを見に行ったけど、

運悪く出会えなかったり、世界一急な坂道を登ったり、古い町を歩いたり、しました。

その後は、ワインにする葡萄を育てている農場の仕事をブレナムで1ヶ月ほどした後、

オークランドに寄って、昨年4月始め日本に帰ってきました。

大人の長い夏休みをとったわけです。つれあいも一緒に。

新卒で入って、長いこと勤めた仕事も、NZに行くことを機にやめましたしね。

もう、きっと夏休みは手に入らないと思っていましたから、NZにいる時は、

何も感じませんでしたけど、日本に帰ってきてから気づきました。

この旅って、夏休みやんけ!!って。

子どもの時に出来なくて、大人になってできることはたくさんありますね。

好きなところにいつでも旅行もできる、お酒も飲める、タバコもすえる、セックスもできる、

嫌いな人と付き合わなくてもいい、仕事も出来る、結婚できるとか。

でも、子どもの時に出来たような、時間の無駄遣いはできないんですよね。

わたしの子どもの頃、夏休み何してたんだろうと考えたら、全部で10回以上、

過ごしているけど、具体的に何をしたかなんてわかりません。ラジオ体操は行っていたのはおぼえ

ているけど、

要は無駄に過ごしていたわけですよ。

でも、わたしはNZの夏休み(実際にはNZへはあちらでいう冬の終わりから夏の終わりまで居た

んですが)は、たくさんのことを数え切れないくらいしました。それも無駄遣いと思う人もいると

思いますが。

どうしても、自分の今やっていることを有益か無益かで考えてしまうんです。

せっかく来たんだから、あれもしなきゃ、楽しまなきゃ、ついつい自分を追い込んでしまいます。

これが、大人になるってことでしょうか。

私の初恋の人は、スナフキンですが(ムーミンの友人ですね)、

もう永遠に彼とは結ばれないと思います。

ギターを弾いて、吟遊詩人のような旅は、「大人の」私にはできませんから。

スナフキンがギターを弾いている横で、必死で地球の歩き方を読んでいたら、

きっとふられてしまいます。

果て無き果て無き欲望と戦わなくて済むのなら・・・といつも思いますが、

そんな自分も嫌いじゃないので始末が悪いです。

人生がドラマティックにならなくても、時間を戻すことはできなくても、

わたしは、わたしらしく生きることが出来たらといつも思います。

でも、それがいちばん難しいこと。


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勝ち逃げ [ブログ]

昨日は生まれて初めて、甲子園で見ました。

もちろん、阪神VS巨人戦です。昨日は本当に楽しかったですね。

代打サヨナラなんて!!もう、甲子園球場は歓喜の渦でした。

すごかったなあ、サヨナラホームラン。

やはり、ライブというのは、すごさが素人目にも違いました。

それで家に帰ってニュースを見たら、古田監督もさよならだそうで、

すごいですね。

スポーツの勝ち逃げは、いいですねえ。応援しているチームや選手だったら、

もううれしくてしょうがない。

でも、最近若い人の犯罪が多いですね。

その人それぞれで事情や環境や理由があると思いますが、

その本人もしかり、私たち大人に原因があることはまちがいありません。

わたしは、彼らがすごく生き急いでいるように思います。

でも、身近に10代の子はいないので、一般論にしかならないのですが、

きっとわたしたち大人が彼らを生き急がせている理由があるのでしょう。

そのひとつが、勝(かち)、負(まけ)という名称を人生につけたことに

起因しているように見えます。

あの学校に行ったから、これができるから、美しいから、お金があるから、家柄がいいから、

勉強ができるから、○○をたくさん持っているから、友達がたくさんいるから・・・etc

テレビの中で言っているほど、大人になったら多様な生き方と生き様と価値観で生きていける

ことは、大人はみんな(たまに勘違いしちゃってる変な人もいるけど)知っている。

だけど、自分の子ども時代を振りかえっても、ドラマのような生活をしている人を青春の

真っ只中に生きている気がしたし、上記したようなことは、まったく関係ないという顔を

しつつもいちばん気にしていた気がします。

感受性がそれだけ鋭かったということもあるし、上記のものをほとんど持っていない私は、

自分に生きている価値は本当にあるのかどうか・・・とうじうじ悩んだりしました。

今考えたら、笑っちゃうような話ですけど、16,7歳までは、そんな感じでしたね・・・

だから、青春の真っ只中といわれてうらやましいと周りの大人に言われても、

ちっとも楽しくなかったですね。今の方がよっぽど楽チンで生き易いです。

だから、勝ち組負け組は、ある一面ではありますが、それだけで幸せになれるわけでは

ないんですよね。

でも、もしかしたら、何より希望を見出せてないということかもしれませんね。

この話は奥深すぎて、話が終わりませんね。

とにかく、今日も阪神勝つといいなあと思います。


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何にもできない私たち [ブログ]

今日は大阪は一日雨でした。春の雨もまた一興ですが、満開だった桜は、明日まで降るであろう

雨できっと散ってしまうであろうと思うと、ちょいと残念です。でも、季節は確実に春の盛りを迎えつ

つ、きっと今年も暑い夏がやってきて、昨年同様しばらくは涼しくならない秋が来て、そして今年ほど

の豪雪じゃないことを祈る冬がくるでしょう。最近は、時が過ぎるのが音として聞こえる気がするの

は、大げさですが、なぜかお正月が来たと思ったら、すぐ春になるのです。

ところで、わたしには、11歳の女の子と5歳の(これまた)女の子を持つ母親である、友人がいます。

彼女は、水道代が節約でき、しかも家事が楽になるから、皿洗い機が欲しいんだそうな

んですが、ある理由から購入を悩んでいるそうです。それは、彼女の子ども(特に5歳児の方)が

お皿は、皿洗い機が洗うのが当たり前になってしまうのが、少し気になるそうです。彼女いわく、「自

分たちは小さい頃から、ご飯食べた後、汚れたお皿は運んで自分の手で洗うものというのは理

解できているけど、小さな頃から当たり前に皿洗い機があったら、お皿は機械で洗うのが当たり前

になっちゃってお皿が洗えなくなるかもしれないし、機械が当たり前と思われるのはいやだ」と。

聞いていて、少しなるほどと思いました。だって、私は、洗濯は洗濯機で洗うのが当たり前、

たまに手洗いするけど、手洗いが特別な事。ご飯を作る時、カチッとひねったらコンロの火がつき、

ご飯を炊くのは炊飯器(今はお釜で炊くのはやってますけど、本当に自分で火をおこしてやるのは

キャンプに行った時くらい)。鶏肉や豚肉は大好きだけど、鶏や豚をしめることはできません(魚を

3枚には自己流でおろせるけど、下手)。着物をひとりでは着れませんし、浴衣の帯ですら、作り帯。

その他、もろもろありますけど、人生30年だけど、できることは少ない気がします。

これを、私自身の怠慢や両親の多少の手抜きもあるかもしれないですけど、私と同世代の男女とも

似たようなものでした。

わたしの頃は、特に、ゆとり教育という考えはなく、学歴社会の片鱗が残っていましたから、ちょいと

後の世代のように塾にみんな行っているということもありませんでしたが、学校の勉強だけでも

楽ではなかったように思います。

でも、上記した以外でも、できないことはたくさんあります。そりゃあ、できることは多少あるけど。

でも、わたしの友人が言うのもあながちはずれではない気がします。

何にもできない子にはしたくないですよね。頭でっかちで、口だけはりっぱの。

でも、わたしはすでに自分がそうなので、今子どもを持ってないことは幸いということにして、

自分から始めないと。そして、何にもできないわたしが、とんびが鷹を生むという要領で、

まず体が動き、心根の美しい、うっとりするようなステキな子(見た目だけじゃない)を持ってみたい

です。でも、そのためには、やはりまず自分ができないと・・・。人生日々勉強ですね・・・


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自分のブログを読み返しますか??顔から火が出る・・・ [ブログ]

わたしは、たけぴの集金生活というブログをやっていますが、

個人的見解により集金生活の話にはまったくふれてません。

(要は「金とセックスの話はしない主義」・・・だったらなんで集金生活なの??はとりあえず、おいと

いてください)

ちなみに、みなさんは、たまに自分のブログを読み返しますか??

たとえばアートなブログ(私自身非常に好きな写真とか絵とか自分の作った作品を掲載されている

もの)は、本人ですら自分のブログを見るの楽しそうですよね。。

わたしは、時々自分のブログを読み返します。同じことを書かないようにするために。

初めて2ヶ月ちょいくらいなので、まあ、10分から15分くらいしかかかりません。

それにしても、私ってロマンチスト!!この顔でそういうの大丈夫とつっこみたくなります。

けっ!とたまに自分のブログに悪態をつきたくなる時が多々あります。

その時その時は、文才がないので、読むのにはトータル15分でもひとつのブログを書くのには、

あんなに短いのに、タイピングスピードは昔かなり練習したので超速いのに、30分から1時間

かかるのですよ。

でも、顔から火が出てしょうがありません。

中学生の頃ラブレターを好きな先輩に渡しましたが、あれはもう2度と読み返さないし、

書きっぱなしだから、どんなに恥っかきでも自分としては痛くもかゆくもありません。

しかし、ブログは違います。

残るし、消したいけど、全部消しちゃったら、やってる意味がなくなるものだし、

書くときは本当に本音がモットーだし、

わたしの生活の大事な部分のひとつです。

だから、書き続けるということにします。

書きっ恥でも、後から読んだら恥ずかしくて、顔から火というより、炎でも

楽しくて、書きたくて、しょうがなくなるのがブログの魅力だと思います。

でも、自分の読み返すより、人の書いているものを読むのは楽しくてしょうがないですね。


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