SSブログ

わたしはたまたま日本に生まれました。 [TV・ニュース]

2ヶ月以上もほったらかしにしていましたが、

忘れていたわけではありません。

書きたくて書きたくてうずうずしておりました。

表現することは楽しい!

誰が読むわけではないけど、楽しい!

と思わせていただくことができて、このインターネットが普及し、

思う存分個人が表現できる現代に感謝するばかりです。

この2ヶ月、簡単にいうと病気しておりました。

病気とは無縁であった30年余りでしたが、突然見舞われるものです。

これから先は、休まずなるべく週2,3回の更新を目指しております。

木曜日の夜、夕食の後夕寝を居間で楽しんでおりました。

ふと、喉が渇き、目を覚ますと横で夫がテレビを見ておりました。

番組名は知りませんが、

その内容は、無限の食欲を止めれない病気を持つアメリカの少女の

ダイエットの話と、アフリカの原住民の狩猟生活を捨てた家族の

日々の糧に事欠く生活を「食」というテーマで取材をした番組でした。

アメリカの少女は身長160センチもないのですが、

体重は150キロ近くあります。

何とかダイエットを進める施設に入り、20キロやせて、祖母と祖父と暮らす

実家にもどって、ダイエットを続けます。

外食しても食事を残すことができるくらい無限の食欲と戦う意思を持てた少女・・・という終わり。

アフリカの家族は、2日もろくに家族は食べていません。

毎日近所に頭を下げ、トウモロコシの粉をもらっています。

その土地に古くから伝わる、

一口果肉を食べれば1日中お腹が空かない植物を

お父さんが探しに行き、見つけることができ、近所の人に物乞いせずともしばらく暮らせて、

お父さんの仕事である、薪売りで、久しぶりに薪が売れたと

子どもたちに飴を買って家路に着くというところで物語が終わりました。

わたしは、たまたま日本に生まれました。

戦後30年以上経った昭和50年代に生まれたので、

「食べることは生きること」という実感は乏しいものと思います。

食べることができるのは当たり前、そう太っていない世の中の女の子がダイエットと騒ぐのは当たり前。

私は、私自身やアメリカの少女が、アフリカの家族に比べて、生きていくうえで幸福であるとは

単純に言えないと思ってしまいました。

食べるに困るというのは、それを知らない私が想像する以上に辛く悲しいことだと思いますが、

アフリカの家族は大地が生み育てるアフリカの雄大さ、偉大さや

家族が支えあうことやみんなで食事をする喜びを知っていました。

アメリカの少女にとって、食事をすることはただただ幸せなことではありません。

ダイエットや食事制限をして食べ、太ることへの恐怖へつながっているのです。

日本に生まれた私と同じように、彼らはたまたまアメリカに生まれ、アフリカの狩猟民族として生まれ、

時代という波に翻弄され、一生懸命生きているのだと思いました。

「世界がもし100人の村だったら」という本の中では、わたしとアメリカの少女は村の中で

もっとも豊かな100人中6人に入るでしょう。

屋根のついている家に住み、3度の食事に事欠くことはなく、日々の生活費以上の貯金を持ち、

インターネットが利用できるという生活を当たり前のように享受できる生活。

本当に100人だけだったら、きっと私たちはすべてのものを共有するだろうと思います。

だからといって、共産主義というわけではなく、

分け合うことがいとも簡単であったろうと思うばかりです。

自分の当たり前は世界の常識ではないということ、世界のそういうことを知ることから始まると思います。

分け合うことがいとも簡単にできるを自分の常識にしていきたいとつくづく思った夜でありました。








nice!(7)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 7

コメント 6

まめぞう

う~ん、深いですね~!^^
結局モノが溢れているからといって幸せとは限らないんですよね。ほんの10年前はケータイなど無くて、ネットも今ほどは普及していなかったし。それでも普通に暮らせていましたよね。
ここ何年かで、「何事も起こらないことが一番幸せなんだ」 と思うようになりました。日々の何気ない生活を大過なく過ごせるのが幸せなんだと。でもこれって、takepiiさんがおっしゃる通り、たまたま日本に生まれたからこそなんですよね。^^
ご病気、具合はいかがでしょう?どうぞお大事に!m( __ __ )m
by まめぞう (2007-08-26 10:21) 

たいへー

おやおや、それは大変でしたね。
もう回復なさったのでしょうか? 引き続きお大事に。

その番組は、私も見てました。
私は普通に食べれて幸せなんだと思いましたよ。
日常がごく普通に行われている事は、恵まれているんですよね。
その中にいる私達は、その事を忘れてしまうのです・・・
by たいへー (2007-08-26 15:32) 

horigon

僕にも、物が溢れる世の中がそんなに幸せだと思えません。
かと言って、現在の境遇を考えた時、アフリカの人達と比べれば、
はるかに贅沢な生活を享受している自分もいるわけで、ある意味、
矛盾した考えとも言えますね。(^^;
そんな中、昨日の残り物を、翌日、勿体ないと言いながら、家族の
嘲笑を受けつつ、捨てることが出来ないことが、昭和30年に生まれた
僕の、ささやかな抵抗かもしれません。

お体、もう良くなられたのでしょうか?
どうか無理をせず、お大事にしてください。
by horigon (2007-08-26 17:14) 

鯉三

そうだったのですか。お体の具合はいかがですか。関西は猛暑だと聞いています。どうかご自愛のほどを。

わたしは食に異常なまでの関心をもつ方なので、それを楽しめる今の自分はつくづく幸せだと思います。ところが、身の回りの人々を見ると実際そうではない人が多いように思えます。食べることはすなわち生きることですが、ひたすら食べ続ける人、何も食べ物をうけつけない人、家族や友人と食事を共にできない人...飢えを忘れた人間の行く末もまた恐ろしいものですね。
by 鯉三 (2007-08-27 00:45) 

Gamaoyabeeeen

しかし、それにしても、最近の子どもたちの給食はいただけません。
まず、前残し、後残しというのがあって、どちらにせよ、残してもいい。
っていうか、先生が残しなさい、っていうんだって。
こんな飽食の時代の子どもたち、いまは幸せそうですが、何十年か後も同じように幸せだろうかと思うと非常に懐疑的に見てしまう私でした。
私も十分豊かな時代の部類である昭和30年代の生まれですが・・・。
by Gamaoyabeeeen (2007-08-27 23:48) 

takepii

エルモさん。お久しぶりでも、お読み頂いて本当に感謝です。
何事も起こらないことが幸せというのは、
わたしもよくわかります。
生きていくというのは得ることももちろん多いのですが、
歳を重ねる毎に失うものもあるのだと、考えるようになりました。
今後ともよろしくお願いします。

たいへーさん。お久しぶりでも、私を忘れず登場頂き本当にありがとうございます。たいへーさんのおかげで、ブログの世界が広がったように思っております。
私たちの生活は幸せです。日本人の言う世間並みはどんだけぜいたくやねんと思ってしまいます。
それを、毎日考えるようにしたいなと思いました。
今後ともよろしくおねがいします。


horigonさん。お久しぶりでも、ブログを読んでいただき本当にありがとうございます。
身体はもうすっかり大丈夫です。通院はしますが、もう入院はないと思います。
おっしゃるように、物はあふれているが、人と人とのつながりが希薄になりつつある日本社会。将来への不安とあいまり、何が大切なものなのか、
わからなくなります。とにかく、一生懸命いきることなのでしょうか。
今後ともよろしくお願いします。


鯉三さん。久しぶりでも読んでいただき、本当にうれしく思います。
ありがとうございます。
食べることはすなわち生きることですが、鯉三さんの仰るように、どれが多すぎでも、食べることは幸せと結びつかない。
やはり、人は考えずには生きれない動物ですから、その人の思いひとつということにもなるのでしょうか。
これからもよろしくお願いします。

がま親分。たびたびご来場感謝します。
給食を残していいとは何ゆえでしょうか?
例えば、アレルギーとかですか??
そうで無ければなぜいいのか・・・・がま親分が仰るように
それは、いただけませんね。
給食一食頂くのに、どれだけの人が心を砕き作っているのか、
それを学校では伝えて欲しいとおもうばかりです。
これからもよろしくお願いします。

ナイスをくださった、りんこうさん、tascabileさん、ありがとうございます。
by takepii (2007-08-30 22:19) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

つよく 正しく やさしく通り雨 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。